妄言
何を思ったか、友人が天使にはまってしまった。
グッズを集めるところから始まり、聖書、絵本、悪魔書のたぐいまでどんどこ集めていく。
カバンの中には奇妙な人形がころがり、しまいには手に不可解な文様まで描き始める。言動もどんどん奇妙な単語が増えていった。だいいち『天使』という単語からしてギョッと人を振り向かせるのに充分だ。
人に避けられはじめ、彼女は一人になっていく。バスケットの班割りに避けられ、旅行の班割りに避けられ、あげくに皆はドッジボールで彼女にぶつかったボールを拾うことをためらった。
勿論私も嫌になった。いじめとかそんなあざ笑って行う類の話ではない。彼女は思いつめた者特有の濃く渦巻くなにかを発散していて、ちょっとでも触れると爆散して叫び出してしまいそうなのだ。そんなリスクを負いたくはない。だから彼女は本当に一人になった。
髪を長く伸ばして下を向き、たまに、それが授業中であっても、くけけ、と声を出して笑う。
なんとかしなければならないと思っても、誰にも何もできなかった。私たちも、先生も、親さえもきっとどうにも手を出せなかったろう。
ある日のことだった。
バレーボール部の先輩たちのしごきがきつくて、私は裏庭で泣いていた。やめてしまおうかどうしようかと悩んでいた。
バレーボールは好きだったが、勝つためにきつい特訓をするのはどこか違う気がして、私は毎日落ち込んでいた。逃げていただけかもしれない。
そこへ『彼女』が声をかけてきた。
ねえ、ゆずちゃん。と昔の調子だった。明るい声。
まさか治ったのかな、と私は彼女へ目を向けた。
「あの先輩……」
彼女は言った。
「殺してあげる」
長い髪に隠れて、表情は見えなかった。
「だから、そしたら、また会おうね」
ぞくりとした。
彼女は背を向け、どこかくにゃくにゃした動きをしながら、去っていった。
私はその後、ひどく震えてしまい体の力が入らず、自分の体を動かすことができるまで、けっこうな時が過ぎるのを待たなくてはならなかった。
結局私は部活をやめなかった。
先輩たちが無事かどうか、毎回確かめずにはいられなかった。
あれは妄言だとは思っても、振り回されるのが馬鹿なことだと思っても、ボールを振り上げる彼女達が生きていることを目の前で確かめずにはいられなかった。
そうして試合でひとつふたつ、みっつ勝っていき、涙を流して喜ぶ先輩達を見るとあの乱れた憎しみも消えていく。
不思議だった。許せるのだ。あのひどく理不尽に思えた練習も、抱き合って泣いている彼女たちの子供のような表情を見れば、それで。
そして先輩達も卒業して、私も卒業の日を迎えた。『彼女』はその頃には、ほとんど学校に来なくなっていた。病院へ通院していると先生が言っていた。
卒業式に彼女はやってきた。
髪は短く切られていて、膚は蝋を固めたようで表情は無い。
無気力が制服を着ているような違和感があったが、最後くらいは出てくることができてよかった、という妙な喜びもあった。
それでも怖くて、誰も話しかけようとはしない。
きいー、と叫びが聞こえた。彼女の声だ。
「馬鹿! 馬鹿者共が! 貴方達は何故嫌じゃないの。私は全てがうんざりするほど嫌! 息を吸うのも嫌! 生きているのも嫌! 全身にびっしりと生えた産毛も大嫌い。でも今日からは違うわ。私は呪いを完成させて、殺人者になるの! 人を殺して私は天使になる! 死という結果が示す術の完成は、特別な存在になった証! そして貴方達を全て見下してやるのよ!」
どこかから女の子の叫び声がした。それを聞いて彼女は恍惚の表情を浮かべて静かになった。そして、その表情のまま何処かへ連れ去られた。
飲んだはずの安定剤は彼女の胸ポケットに入っていたそうだ。
いつの間につけたのか、彼女の身体には、ひっかいてできた、みみずばれの奇妙な文様が。
そんなことはどうでもいい、そんなことはどうでもいいのだ。
重要なのは、あのあとあの先輩、すでに卒業した三人のバレーボールの先輩たちが時を同じくして死んだと聞いたことだ。
一人は交通事故。一人は心不全。一人は自殺。
何かができるはずもない。彼女は悪化して今はずっと病院に入っている。隔離病棟。一人では抜け出すことのできない場所。それなのに。
私は窓の外で物音を聞くと、怖くてそちらを振り向くことができない。
誰かが後ろを歩いている気配がすると、怖くてそちらを振り向くことができない。
彼女がやってくるのではないかと、怖くて怖くてたまらないのだ。
あの言葉が耳に響いてくる。
ねえ、ゆずちゃん。
私。先輩達を●したから。だから。
彼女は、にっこりと笑う。
「また、会おうね」
妄言とは知りつつ、私は彼女から逃げ出すことはできないのだ。